セモダイ(=セロニアスモンク大学)の動画とCD情報です。
リーダーの定岡弘将がYouTubeにたくさん動画をupしています。
是非ご覧くださいね。
SEMODAI LIVE
SEMODAI MONK SIDE
SEMODAI SOKKYO SIDE
そしてCD視聴と購入はこちらより。
*最新作!
「SEMODAI inKOBE 2019」
disc 1
disc 2
定岡弘将(ds)率いるセロニアスモンク大学の2nd album!
圧倒的に個性的で独創的なモンクスミュージック、ここに現れたり!
「これだけやりゃ、天国のモンクだって踊ってんだろう! 」 2015年春の録音から約二年をかけて、リーダーの定岡自らの手で音源編集をした。その間、「キメラ音楽」と「異形のモンクスミュージック」という言葉はひと時も脳裏を離れることはなく、まさにその想いが音だけでなくそのアートワークも含め見事に形になり、冒頭の一言が溜息のように漏れた。 MONK SIDE15曲、SOKKYO SIDE13曲の全28曲の、過去を振り返っても最先端のシーンにもどこにも見受けられないセロニアスモンクの新しい解釈である。モンクの楽曲とは一聴しても分からないほどに換骨奪胎した強靭なアレンジ楽曲と、ことごとく情景が思い浮かんでくるギターとピアノのソロ曲とで構成されており、まるで映画や映像作品のように静と動のバランスに重点を置いた構成になっている。ギターとボイスで野津昌太郎が参加しており、バンドサウンドの世界観を拡張することに一役以上の活躍を果たしている。SOKKYO SIDEは前作の手法をさらに深化させており、SOKKYOは即興演奏の一発録音、ENSEMBEは各楽器を個別に録音し、ミックスダウンにおいてサンプリングが如くパーツパーツに解体し再構築しており、即興演奏の再作曲と言えよう。音と無音の緊張感が隅々まで張り巡らされており、不穏ながらも濁りのない清らかな音風景を描き出している。際立ったアレンジによりモンクスミュージックの新たなる可能性を表現し、ミックスダウンによってジャズという音楽の拡大解釈を果たすことに挑戦した大胆な意欲作となっている。
*SEMODAI
目には見えないし、耳では聞こえないが。時空には音が犇めき、永遠を笑いいなすように残響は蠢き溢れ返っている。
それを演奏家が全身全霊を尽くし、やっとの思いで音を分断し塞き止め間を作る。音は断ち切れそこは休符になる。この時に音は音楽たりうるのだろう。
その無音然とした「間」にこそ音楽の本質はあるといっても過言ではない。かつて勝新太郎は「芸事で大事なのは間なんだよ、間は魔物の魔に通じる」と言っていたが、然りである。
つまり音楽の本質は間にあり、間は魔であり、言い換えれば音楽の本質は魔に息づくわけで演奏家はそこまで足を踏み込まなければ音楽家とはなりえないのではないだろうか。
セロニアスモンク大学のリーダーで、ドラマーであり、また音の編集にも深く関わり、このアルバムのプロデューサーでもある定岡弘将が自らを音楽家として表出させた活動における一歩である。
全曲即興演奏で録音され、四人が同時録音したのがSOKKYOと題され、各自個別に録音し編集作業で構築されたのがEMSEMBLEである。
音楽は演奏家の手だけでは不完全なものであり、聴き手の中でそれは実を結ぶべきであるという理念の元に完成されたEMSEMBLEは編集作業に於いてもさまざまな試行錯誤がなされたという。
そして定岡が作詩とボイスを担当した二曲、「無音の庭」と「siki」があり、「無音の庭」では上に書いたような音楽の本質が息づく魔、間を意識した曲で、
また「siki」はボイスとドラムを多重録音し、さらに編集作業で解体、再構築したという力作になっている。しかしそれも聴き手の中で再解体されてまた構築される為の綻びを作る為の作業でしかなかったという。
その他にLONGTONEがあり、各曲1分もないこの曲こそ分断された音の欠片をそのまま記録しただけのようでありながら、大小強弱という音の性質以上の何かが感じ取れ、このアルバムの魔ということになるだろう。
演奏家から音楽家への孵化、もしくは葬列か。全12曲の即興音楽膝栗毛。
最新作は持ち歩いていますのでライブ会場でもお声掛けください!
リーダーの定岡弘将がYouTubeにたくさん動画をupしています。
是非ご覧くださいね。
SEMODAI LIVE
SEMODAI MONK SIDE
SEMODAI SOKKYO SIDE
そしてCD視聴と購入はこちらより。
*最新作!
「SEMODAI inKOBE 2019」
disc 1
disc 2
OFFICIAL BOOTLEG
LIVE IN KOBE 2019
LIVE IN KOBE 2019
クレジット
2020年8月23日リリース
定岡弘将 Drums,voice
當村邦明 Tenor sax
関谷友加里 Piano
畠山令 Bass
近石礼 visual art
定岡弘将 Drums,voice
當村邦明 Tenor sax
関谷友加里 Piano
畠山令 Bass
近石礼 visual art
ライセンス
*セモダイ2(SEMODAI2)定岡弘将(ds)率いるセロニアスモンク大学の2nd album!
圧倒的に個性的で独創的なモンクスミュージック、ここに現れたり!
「これだけやりゃ、天国のモンクだって踊ってんだろう! 」 2015年春の録音から約二年をかけて、リーダーの定岡自らの手で音源編集をした。その間、「キメラ音楽」と「異形のモンクスミュージック」という言葉はひと時も脳裏を離れることはなく、まさにその想いが音だけでなくそのアートワークも含め見事に形になり、冒頭の一言が溜息のように漏れた。 MONK SIDE15曲、SOKKYO SIDE13曲の全28曲の、過去を振り返っても最先端のシーンにもどこにも見受けられないセロニアスモンクの新しい解釈である。モンクの楽曲とは一聴しても分からないほどに換骨奪胎した強靭なアレンジ楽曲と、ことごとく情景が思い浮かんでくるギターとピアノのソロ曲とで構成されており、まるで映画や映像作品のように静と動のバランスに重点を置いた構成になっている。ギターとボイスで野津昌太郎が参加しており、バンドサウンドの世界観を拡張することに一役以上の活躍を果たしている。SOKKYO SIDEは前作の手法をさらに深化させており、SOKKYOは即興演奏の一発録音、ENSEMBEは各楽器を個別に録音し、ミックスダウンにおいてサンプリングが如くパーツパーツに解体し再構築しており、即興演奏の再作曲と言えよう。音と無音の緊張感が隅々まで張り巡らされており、不穏ながらも濁りのない清らかな音風景を描き出している。際立ったアレンジによりモンクスミュージックの新たなる可能性を表現し、ミックスダウンによってジャズという音楽の拡大解釈を果たすことに挑戦した大胆な意欲作となっている。
*SEMODAI
目には見えないし、耳では聞こえないが。時空には音が犇めき、永遠を笑いいなすように残響は蠢き溢れ返っている。
それを演奏家が全身全霊を尽くし、やっとの思いで音を分断し塞き止め間を作る。音は断ち切れそこは休符になる。この時に音は音楽たりうるのだろう。
その無音然とした「間」にこそ音楽の本質はあるといっても過言ではない。かつて勝新太郎は「芸事で大事なのは間なんだよ、間は魔物の魔に通じる」と言っていたが、然りである。
つまり音楽の本質は間にあり、間は魔であり、言い換えれば音楽の本質は魔に息づくわけで演奏家はそこまで足を踏み込まなければ音楽家とはなりえないのではないだろうか。
セロニアスモンク大学のリーダーで、ドラマーであり、また音の編集にも深く関わり、このアルバムのプロデューサーでもある定岡弘将が自らを音楽家として表出させた活動における一歩である。
全曲即興演奏で録音され、四人が同時録音したのがSOKKYOと題され、各自個別に録音し編集作業で構築されたのがEMSEMBLEである。
音楽は演奏家の手だけでは不完全なものであり、聴き手の中でそれは実を結ぶべきであるという理念の元に完成されたEMSEMBLEは編集作業に於いてもさまざまな試行錯誤がなされたという。
そして定岡が作詩とボイスを担当した二曲、「無音の庭」と「siki」があり、「無音の庭」では上に書いたような音楽の本質が息づく魔、間を意識した曲で、
また「siki」はボイスとドラムを多重録音し、さらに編集作業で解体、再構築したという力作になっている。しかしそれも聴き手の中で再解体されてまた構築される為の綻びを作る為の作業でしかなかったという。
その他にLONGTONEがあり、各曲1分もないこの曲こそ分断された音の欠片をそのまま記録しただけのようでありながら、大小強弱という音の性質以上の何かが感じ取れ、このアルバムの魔ということになるだろう。
演奏家から音楽家への孵化、もしくは葬列か。全12曲の即興音楽膝栗毛。
最新作は持ち歩いていますのでライブ会場でもお声掛けください!
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